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欲と節度

近年、幾度となく、札幌近辺の釣り人界隈でざわついている問題がまた起こっている。
それは漁港における釣り人のマナーだ。
ここ数年でも、白老港、泊兜漁港(全面禁止)、苫小牧港(ほぼ禁止、一部だけOK)、が釣りができなくなった。加えて、小樽港も以前から禁止の噂が絶えない。
そしてここに来て余市港もだ。

先週末、余市港はホッケ釣りの釣り人でごった返していた。
海に面した漁港の岸壁はほとんど隙間なく人、人、人。

とにかくホッケが湧いていて、2ケタ釣るのはざら。釣る人によっては3ケタも釣っていく。
そんな状況で人が殺到したというわけだが、漁業関係者からすればたまったもんではない。
漁港にゴミが散乱し、接岸している船を係留しているロープには投げ損じた針がいくつも引っかかっている。船が漁から帰ってきても、釣り人が陣取っていて接岸出来ない。などなど、あまりにもひどく警察が漁港に来て釣り人を散らす始末。

このような状態になったのには、コロナで気軽なアウトドアである釣り需要が増えたこと、SNSの情報拡散で釣れている場所が即時に提供されるようになったことなど、釣りに対するハードルが下がったのが大きな要因。
こんなところにもパンデミックとSNSが影響している。

自分も釣り人の端くれとして、この現状は本当に由々しき事態だと思っている。
そもそも釣りなんてものは、単なる遊びだ。遊びは遊びとして取り組むものだろう。
ただ、やはり遊びにだって何らかのルールが必要。
いつの間にか、SNSでは数を釣ることが良いこと、自慢できることに変わってしまっているが、元来、釣りで自慢となるのは魚種とサイズが重要な要素だった。
釣り人ひとりが3ケタも釣る必要がどこにあるのだろう?正直、僕にはその意味が理解できない。
水産資源だって有限である。身勝手なその時限りの欲と快楽によって、いつか魚が釣れなくなる時期が来るかもしれない。そんなことすら想像できなくなっているのだろうか。僕たちは未来に向けて、資源を有効に使う義務がある。

あまりにも人は身勝手になりすぎていると思う。
余市の問題は、余市単独の問題ではない。もう釣りはライセンス制にするか、各漁港で遊漁料を取ってもいいのではないだろうか。資源を大切にし、釣り場の整備に貢献できるのであれば、いつまでも釣りがしたい僕は喜んでその意見に賛同しようと思っている。

つまりこれは人の節度の問題と言える。
一時の欲に引っ張られることのない、節度を持った大人がたくさんいれば、本来こんなことにはならないのだ。撒き餌をそこら中に撒き散らし、ゴミを放置し、遠慮もなく車を無造作に止め、数を釣って自慢することなど意味がない。
自分勝手に、その時だけの享楽に溺れるのではなく、節度を守って、自然と向き合うことの楽しさが釣りという遊びの本質ではないか。

もう一度いう。所詮、釣りなど遊びだ。ホッケもニシンもスーパーに行けばそれなりの安さで売っている。
僕たちが釣りをするのは、思い通りにならない自然を体感することだということを今一度皆が考える必要がある。

写真は小樽祝津港

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